話題の人 アウンサンスーチー

鉄の女、ビルマのジャンヌ・ダルク そんな例えが似合う女性
2015年11月9日、総選挙に向かう アウンサンスーチー

  
 
アウンサンスーチー氏 (Aung San Suu Kyi) の名前の知名度は世界的に見て絶大である。
アウン・サン・スー・チー氏と書くメディアもいたが、正確には アウンサンスーチー 続けて呼ぶらしい。(ラテン文字)
ビルマは姓がなく、名のみであるからだ。
ビルマの独立運動を主導した父 アウンサン将軍と著名な外交官である母キンチーとの長女として
1945.6.10 ビルマ ラングーンで生まれる。今は70歳。
父、アウンサン将軍は独立運動達成を目前にして暗殺される。アウンサンスーチー5歳の時。
現在は国民民主連盟(NLD) の党首。過去20年のうち14年以上獄中あるいは自宅軟禁。
彼女の胸の内はよく解らないが、解らないことが多い。とにかく経歴は壮絶である。
以下、
1962-1963 母のインド大使に伴い、インド デリー大学で政治学を学ぶ。
1964-1967 イギリス オックスフォード大学で哲学、政治学、経済学を学ぶ。
        同大学名誉博士号を取得 名誉フェローに選出される。
        ロンドン大学東洋アフリカ研究院で研究助手。
1969-1971 ニューヨークの国際連合事務局行政財政委員会で書記官補となる。
1972     オックスフォードの後輩でチベット研究者のマイケル・アリス(1946-1999) と結婚。二人の息子をもうける。
1985-1986 京都大学東南アジア研究所で在外研究 
        子連れで日本で暮らす。父アウンサン将軍についての歴史研究。<父親探しの旅>
1991     アジアの女性としては初めてノーベル平和賞を受賞。
        賞金の130万ドルはビルマ国民の健康と教育の為の基金の設立に使われた。ただし自宅軟禁中のた
        め授賞式には出席できず、受賞演説を行ったのは軍政が民主化に本腰を入れ始めてから21年後の
        2012年6月16日のことであった。
1999.3    夫、マイケル・アリスが前立腺癌で死亡。ビルマ入国を再三求めたが軍政は認めず、夫婦の再開は出
        来なかった。
2002.5    アウンサンスーチーと久米宏が5分間の電話対談を行い<ニュースステーション>で放映。
2008     アメリカ議会名誉黄金勲章受賞。
2009.5    ニコール・キッドマン、ブラット・ピット、デビット・ベッカムら著名人44人がアウンサンスーチーの訴追に
        反対し、解放を求める協同声明を発表。
2011/12   アメリカの国務長官 ヒラリークリントンがアウンサンスーチーを訪ねる。この時の抱き合う二人の写真
        が世界に発信され衝撃を受ける。このあたりからアメリカの対話路線が始まる。
2012/2    訪韓 反日苦言で日本国内で大反響。アウンサンスーチーファンをがっかりさせる。
        日本の帝国主義に立ち向かった父”日本人個人を憎んではいけない。誰にでも長所、短所があるため
        短所ばかりをみて、憎んではいけない。短所を反省をすることこそ重要”と講演する。
2012.1    フランス ニコラ・サルコジ大統領より レジオンドヌール勲章コマンドゥール 受賞。
2012.1    パキスタン アースィフ・アリー・ザルダーリー大統領よりペナジル・プット賞受賞。
2012.2    国際連合教育科学文化機関により 2002年に授与が決定していたマダンジート・シン賞を受賞。
2012.11   アメリカ大統領 バラクオバマ が初めてミヤンマーを訪ね、アウンサンスーチーを訪ねる。
       それ以後、国内民主化の弾圧から解除されていく。

アウンサンスーチーの髪飾りは?

アウンサンスーチーが外出するときに、必ずつける鮮やかな花の髪飾りは、再開することなく死別した英国人の夫とかって誕生日に贈りあったバラの花。これを付けることで夫に対する愛と、無言の抵抗の証となったのである。

マイケル・アリス

1946-1999 イギリス出身、妻が’88年帰国した後は氏が息子の面倒をみるが、妻とは再開できないままガンで死去。

24歳のアウンサンスーチー

神秘の国に咲いた可憐な花 古来より”黒駒”と呼ばれた珍重された最高の女相が出ている、という。

アウンサンスーチーの国際的知名度は絶大

          ● ヒラリー・クリントン国務長官と抱き合う           ● ダライラマと対談           ● ホワイトハウスにてバラク・オバマ大統領と会談

アウンサンスーチーの軟禁されていた自宅

白い2階建ての洋館(10室)、裏庭には野球場が1面取れ、ゴルフもできる。中南海といえるインやー湖に
つながり、泳ぎも舟遊びもできる。しかし生活はメイドと二人だけであった。(ヒラリークリントンが訪ねた時の写真)

ミヤンマーの総選挙 2015年11月9日

現代は怖いものだ。ミヤンマーの総選挙の風景が、即日インターネットで送られてくる。

11月10日、すでに結果が現れる

政権奪取が濃厚になった10日、”私が大統領の上位に立つ”とマスコミの前で公言した。

ミヤンマーの憲法では、身内に外人がいれば大統領にはなれない、という規定がある。
外国メディアのインタビューで次期大統領は何の権限もないと明言。
自身の大統領就任を禁じた憲法規定に合わせるために任命されるにすぎないとして
”私が全てを決定する”と強調した。いかにも、鉄の女”を感じる。


<あとがき>

1992年以来、独裁者として君臨してきた タンシェエ から テインセイン に政権が引き継がれた頃から
若返りの人事と共に民主化勢力への歩み寄りを始める。国内の民主化の弾圧のため、欧米からの
制裁を受け、その解除を求めて国内民主化勢力との対話を求めていく。すなわち アウンサンスーチー
の処遇の問題であった。テインセインはうまくアウンサンスーチー率いる民主化勢力を体制内に野党と
して取り込み、諸外国との外交関係を急速に改善させていく。このような動乱のさなか、国民民主連盟
(NLD) が旧軍事世間とのつながりの深い政商から多額の金を受け取っていることが判明。
又、多数派の仏教徒の支持を得るため、彼らが少数派民族のロヒンギャの難民を迫害しているのを黙
認。国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッキ(本部ニューヨーク) がアウンサンスーチーを批判をうけている。
かって、イギリス領だったころに父を暗殺され、祖国を破壊され、そのイギリス人と結婚、子供たちはイギリス籍。イギリスに忠誠を誓う。
日本占領時、日本はアウンサン将軍を特別寵愛したというが、負けると同時にイギリスに寝返ったと
いう。又、アウンサンスーチーはイギリスとアメリカの民主主義以外は全て”悪”であるという。
国民民主連盟(NLD)が政権を奪取した後に最初の訪れるのは中国と明言。
良く解らない。アウンサンスーチーは反日か?”心中複雑な国”と述べている。
ミヤンマーは経済面でも大きな注目を浴び”アジアの最後のフロンティア”とまで言われている。
アウンサンスーチーは”鉄の女” ”くそ度胸の女” 加えてリーダーシップは超一流。
裏ではイギリス、アメリカ、中国、インド、パキスタン等が蠢いている。
ここでまた、日本の愚かな外交が躓きかかっている。お金が全てではないと彼女は言っているのに。